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禍福糾える縄の如し-グランドスラム達成の地/シリーズ「電通イズムその功罪」-10

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大学教授の顔

みなさま、お待たせしました!
柴田明彦コラムの人気シリーズ「電通イズムその功罪」の続編が届きました。

前回の話をお忘れの方は↓こちら↓からお読み下さい。
虎口を逃れたと思いきや竜穴に入る柴田明彦/シリーズ「電通イズムその功罪」-8

さて、電通三大不人気部署のフジテレビ担当と朝日新聞担当を歴任し、よもや残り1箇所に移動になる事はあるまい!と思っていた柴田。電通の人事は鬼と呼ばれた彼の想像のはるか上を行ってました!記念すべきグランドスラム達成の地、新聞局地方部担当で柴田を待っていた事は?

どうぞお読み下さい。(編集記)

『電通イズム その功罪』Vol 10

何度も述べてきたが(くどくて申し訳ない!)、電通新入社員にとって“不人気三大部署”はフジテレビ担当、朝日新聞社担当、全国地方新聞社担当の地方部。まさかグランドスラムを達成するとは思っていなかった(おそらく電通118年の歴史で僕だけだろう・・・)。マゾ気質ではないが、ストレス耐性は強くなった。ささやかな収穫としよう。と前置きしつつ本題に入る。

◆電通最古の部署「地方部」

地方部は電通創業(明治34年1901年)以来現存する最古の部署。歴代社長は地方部出身だった。ついに、いや漸くと言ってもいいかな、過去形となった。第11代社長・高嶋達佳氏(僕の披露宴で仲人を務めていただいた)が最後の地方部出身者。現在の13代社長・山本敏博氏(僕が新入社員でフジテレビ担当部に配属された時、彼は日本テレビ担当部に在籍していた)はテレビ局出身。ちなみに高嶋氏が社長を退いたのは2011年。実に創業以来110年間、電通は新聞局地方部出身者が“数珠つなぎ”の如く社長のバトンを継承してきたことになる。

さて、その地方部。“電通の歴史は地方部の歴史”と豪語する電通最右翼集団は鼻息が荒かった。同じ新聞局でも朝日新聞担当など眼中にない。自分達こそ電通“魂の継承者”という強いアイデンティティを発散しまくり、エリート集団が肩で風を切るが如く。僕はと言えば、テレビ担当部署から落下傘で、一瞬枝(朝日新聞担当)に引っ掛かったあと猛獣の檻に放り込まれた感覚に近い。アドレナリンの異常分泌、あの体感は未だ忘れない。同期諸氏からは「柴田、死ぬなよ!」と一言。ただ朝日新聞担当、そして地方部への異動を聞いて喜んだ人が、たった一人だけいた。それは亡き父親。朝日新聞担当と聞いた時「アラスカ(*朝日新聞社屋にある昭和3年開業の老舗レストラン。ちなみに毎日新聞や内幸町のプレスセンタービル内にも店舗がある)のカレーがいつでも食べることが出来ていいな!」と笑いながら言い、地方部異動を知ったら「神戸新聞とも仕事をすることになるのか」と嬉しそうに目を細めていた。神戸出身(須磨)の親父は、神戸新聞社で記者を務めていたことがある。東京出張の折には、いつも当時有楽町にあった朝日新聞社内にある「アラスカ」でカレーを食べるのが楽しみだったようだ。知らないという純粋無垢な状態は良いことだ(笑)。あちらの世界で親父と再会したらまた話すことが幾つかある。

大学講義のひとこま。教授の顔からは電通赤鬼の気配は感じられない。

大学講義のひとこま。教授の顔から電通赤鬼の気配は感じられない。

柴田の実体験から紡ぐ講義は学生に好評!

柴田の実体験から紡ぐ講義は学生に好評だそうです。

◆天狗の鼻をへし折られながら

地方部に異動したのは32歳5ヶ月。電通マンとしてのアイドリングも終わり、何度となく修羅場もくぐり抜け、仕事の流れ、成功の方程式も徐々に蓄積して“大いなる勘違い”が芽生え始めた年頃。しかも不人気三大部署の二つを通過した自分は、パンチドランカー体験も積み重ね這い上がってきた。強靭な精神力は肉体力を凌ぐのさ!と嘯きながらタフガイな自分に陶酔していた。しかも“オレがオレが”のパフォーマンスで強引に結果を導き出すのが、僕の仕事スタイルだった。実に嫌なタイプだ!自戒の念を込めて吐露する。当然ながら周囲の“地方部先住民族”を刺激したことは自明の理。異動初日から地方部の「掟」を叩き込まれる日々が始まる。“テメエさえ良ければ、じゃねえだろう!”“後輩指導と教育”“冠婚葬祭特に葬儀”“地方新聞社に対する異常なまでの深い愛情”などなど地方部イズムは身体の先端毛細血管にまで染み込んでいく。傑作シリーズもある。「義理と人情と恩返しって言うだろ。でも忘れちゃいけないのは敵討ちだぜ。お世話になった方に何かあったら地の果てまで追いかけて仇討する!」。もはやまともなビジネス空間の会話じゃない。東映映画のワンシーンに潜り込んだかのような感覚だ。先述した“電通の歴史は地方部の歴史”と言う“中華思想”には最後まで抵抗があったが、地方部の掟を前頭葉、後頭葉、右脳、左脳に擦り込まれていく。地方部ウイルスが猛威を奮って僕の体内に拡がっていくという感覚かも知れない。と同時に、箸の上げ下ろしといった所作から始まり、僕のビジネススタイルを根底からなぎ倒し、天狗になっていた鼻をバキバキに叩き折られる、そんな地方部生活が続いた。

◆岡山と広島

地方部に異動して最初に担当したのは、山陽新聞(岡山)と中国新聞(広島)。東京生まれ渋谷区神宮前育ち、青春期を横浜で過ごし、現在は湘南エリアで暮らす。と人に言うとシティボーイですね!と言われ、以前は全力で否定していたが、最近は肯定することに変更した。ムキになって否定する方が嫌味なのではないか!?と思うからだ。お約束の脱線・・本線に戻そう。祖父母は生前吉祥寺に居住、もともと親戚が少なかったため地方には縁が薄かった。ゆえに当時の僕は、県名が明記されていない日本地図に正確に県名を記入する自信が全くなかった。中国5県の位置関係も怪しかったはず。なんて、言い訳にもならない(汗!)。広島にはフジテレビ担当時代に駅伝イベントの立ち合い出張で1回、岡山は未踏の県だった。先ずは徹底的に2エリアを勉強することに決めた。教科書は両新聞。週末ごとに1週間分の両新聞をペーパーバックに詰め込み自宅で隅々まで読み込む。大学ノートを用意して気になった記事(特にローカル経済面は凝視)をスクラップ、確認事項を余白に書き込みながら読み進めていく。そして翌週そのノートを持って両新聞の東京支社を訪問し、確認事項をヒアリング。この勉強習慣は1カ月程度で定着し、その後エリア理解度は加速度的に高まる。それぞれの地域リテラシーが備わってきてからは、一つの記事からビジネスを創出するトレーニングも付加する。本社に出張した際に訪問したい先々(観光協会、商工会議所などなど)も記載して来るべき「上陸」を虎視眈々と狙う。デスクワークが嫌いな僕は、出張という希望の光に邁進する生きものだと自負している(笑)。以来、岡山&広島は“おびただしく上陸”することになる。合わせて毎年の決め事として、新聞協会賞を獲る「作品」を創出することも忘れなかった。

◆福岡というより博多

山陽新聞、中国新聞担当(業界では新聞担当者を紙担と呼ぶ。ちなみにテレビ局担当者は局担)を経て、九州のブロック紙(単一県で発行する新聞が県紙、複数県にまたがって発行する新聞をブロック紙と新聞協会で分類している)西日本新聞(にしにほんではなく、ニシニッポンと読む)担当になった。この担務変更は僕の仕事観、価値観、そして人生までをも急激にドライブさせた。西日本新聞社で僕より年上の方々は「柴田!」と呼び捨てにしてくれた。新聞社各部署を引き回してもらい「ウチの柴田」と紹介していただく。美辞麗句をすっ飛ばした身内感覚、僕は嫌いじゃない。むしろ爽快だ。西日本新聞の「紙担」時代は、引き続き寝食を忘れて状態の日々だった。しかし、戦友であり同志とは何か!?明確に定義付けられたことがありがたい。西日本新聞社には専務まで務めたH氏という有名な御仁がおらっしゃった(博多弁)。僕にとっては“博多の父”だ。「お蔭さまの精神と感謝の気持ち」を徹底的に教わった。Hさんイズムは、その後の僕のキャリビジョンに大きく影響した。ありがたい。チームHで多くの作品を創出したことは、僕の誇りだ。過労で倒れ生まれて初めて点滴を打ったことも勲章だと思っている。岡山、広島に次いで福岡にも「実家」が出来たことに喜びを感じた。福岡出張は優に200回を越えている。マイレージを貯めていれば良かった。もっともマイレージ以上の人生ポイントが付与されたことに深謝!
お後がよろしいようで。続く。(柴田明彦)

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任侠ドラマの脚本を読んでいるような今回のコラム。
電通イズムの「功」と「罪」は互いに絡みながらどの様な影響を柴田に及ぼすのでしょうか?次回をお楽しみに!

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