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柴田明彦、電通でビジネスマインドを鍛えられる/シリーズ「電通イズムその功罪」-1

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~シリーズ「電通イズムその功罪」①~

このシリーズでは、柴田明彦が電通という「虎の穴」で見た光と影、実像と虚像、真善美、そして辞めた後に見えた本質を通して、ビジネス脳をいかに鍛えてきたかを語ります。みなさまのビジネスマインド活性化の一助となれば幸いです。(編集記)

◆シリーズ開講の辞

相変わらず“故郷”は世間を賑わせている。独壇場だったオリンピック・ビジネスは維持できるのだろうか!?2020年東京オリンピック開催までカウントダウンとなった今、然るべき帰結を願う。

さて、企業をブラックとかホワイトといった言葉で冠することはない時代、電通という正規軍でビジネスマンとしてのトレーニングを受けた。まさに熾烈なブートキャンプ状態だった。一方、電通という集落を飛び出して見えてきた真実もある。影があるから光がある。そもそも自然は昼と夜との完璧なバランスによって成り立っている。功罪も然り。二元論で解決できるほど世の中は単純ではない。ましてや二元論に執着することなど愚の骨頂。振り子の反動を味わうには、まず片方に思いっ切り振り抜くこと。中途半端に揺れているのでは、振り子の醍醐味もわからない。このシリーズは僕のビジネスマン脳の解析レポートかも知れない。と前置きしつつ開講。

電通時代とは違う穏やかな表情を見せる柴田

◆生態系を変える

人事異動に否を唱え辞表を提出し電通マンにピリオドを打った。
企業は売上と利益の拡大再生産を目指す。従って組織の機能向上において新陳代謝は常態であり、そのための人事異動は必須だ。A地点からB地点への異動は嫌だ!せめてC地点あるいはD地点に変更してくれ!などといった我儘を容認したら組織は正常に作動しない。組織に帰属するとは「服従の誇り」を胸に刻むか否か。その覚悟がなければ務まらないし、その矜持を持てないなら“宮仕え”は出来ない。最初からフリーランスの道を勧める。

ちなみに服従の誇りは“社畜”に成ることではない。よく誤解される。その相違を説明しろ!とご用命あれば、何処にでも馳せ参じる。ぜひ一献かたむけながら談義したい。もちろん費用はご負担いただきますが・・(笑)。本線に戻ろう。

退社早々に複数出版社から“暴露本”の執筆依頼や、朝日新聞社会部からは取材があった。暴露本がヒットしたら印税収入が・・・と瞬時に不埒な幻想も湧いたが、その総てのオッファーにキッパリとお断り申し上げた。「天に唾を吐く行為はしない。23年間の企業戦士だった自分、そして帰属した組織も否定することは断じてない。腐っても鯛でいたいと考えている・・」と。

独立してから講演、研修、大学講義など講師属性に“変身”することが多い。講演終了後の質疑応答で度々訊かれるのは「なぜ電通を辞めたのか!?」。最初は“ふんにゃら、ほんにゃら”応えていたが、ある時期からは「Googleで柴田明彦、半角空けて、週刊朝日と入力してください。退社に至る2ページの柴田特集があります。そちらをご覧ください」と答えてきた。職を辞するという内容で、もう一度講演できる。だから簡潔に切り上げている。

◆20代の僕が見たビジネス観

極楽トンボのような大学生だった僕は「創造と感性」の世界で働きたいという淡い思いを描き電通を志願した。ちなみに就活は電通、博報堂、フジテレビ、テレビ朝日、三越の5社を受け、結果は2勝3敗。たとえ何勝しても務めるのは1社だから勝率はナンセンス。

電通に入社した 1983年(昭和58年)、会社には“ザ・昭和”という匂いと“男たちの汗と涙”が充満していた。最初に配属された「ネットワーク3部(フジテレビ担当部)」は、社内でも過酷と言われた部署。そこには朝から晩、いや深夜に至るまですべての行動規範に「鬼十則」と「責任三カ条」が貫かれていた。カルガモの子は初めて見たものを親と思うと聞く。僕も「会社」とはそのようなものだと何の抵抗もなく受け入れた。ましてや、入りたくて志願した会社だ。選抜にもれた友達、他志願者のことを考えれば、何をかいわん。

一か月ほどの集合研修を経て現場に配属。その部署にしか通用しないビジネス手法、価値観といった「不文律の掟」を順守することが、現在のコンプライアンス(法令遵守)と同義のように理解した。上位者、先輩は全身全霊をかけて後輩の指導・教育に取り組む。『先陣の谷に突き落とす』という表現がある。何度となく深い谷に突き落とされても必死に這い上がっていく“タフガイ”にのみ“電通DNA”を引き継がせていくように感じた。そのようなプロセスを辿ってきた猛者たちを見て、後輩は必死に駆け上る、ようやく先輩の域に達したかと思ったら、先輩は更に高い所に駆け上がる。社内を見渡せば、色々な「技」をもった先輩がいて「ロールモデル」には事欠かなかった。修羅場のような日々が続き、トイレに行っては今にも泣き出しそうな情けない自分の顔を鏡越しに睨み返す。「負けてたまるか!」と心の中で叫び、いや鏡に向かって吼え、現場に戻る。そして再び罵倒・叱責・怒涛の嵐に正面突破を挑み、木っ端みじんに砕かれる。日々その連続。“電通の常識は世間の非常識”と揶揄されてもお構いなし。広告会社の生命線ともいえる「扱い」の維持・拡大・奪取だけを目指して全力疾走する毎日。不屈の精神力とそれに支えられた肉体力をもち、「鬼十則」「責任三カ条」を行動規範として、この弱肉強食のサバイバルを生き抜く。僕はそのような環境でビジネスマンの一歩を踏み出し、駆け抜けてきた。

◆電通金太郎飴

金太郎飴はどこを切っても、その断面に金太郎が描かれている。金太郎飴同様にフジテレビのいかなる部署にも電通の足跡を刻め!というのが掟の一つだ。とにかくフジテレビ社内を巡回する。編成、制作、営業、事業、スポーツ、ネットワーク、アナウンス室、総務・人事・経理に至るまで先輩の顔が刻印されている事に驚く。フジテレビ社員の名刺枚数を競うゲームではない。その部署の情報をキャッチアップすることが至上命題。しかも先輩と親しい相手に寄生することは許されない。「保護者がいないと生きていけないのか!」と罵倒されるのがオチ。掟の狙いは「多元的に情報源を確保する」という意味合いであったことに気付くまで暫く時間を要した。電通は当時「築地CIA」「情報省」と言われていたことを思い出す。情報交換とはギブ&テイク。キャリアの浅い自分には、相手に与える有益な情報など持ち合わせていない。そんな愚痴を言おうものなら「お前は一生首から下の仕事をしていろ!」と一喝される。新入社員より10年目社員の方が多くの情報を持っているのは当たり前。乏しい兵力でいかに戦うか!?キャリア年数だけで勝負するな!という教えだ。情報収集の手段を、あれこれ考える。相手が嬉々として喋り出す環境を整備するならば・・・などなど。知恵とはそのような状況下で、初めて湧き出ることを知った。あとはPDCAのサイクルを回すだけだ。

◆イノベーションの矢

メディア・ビジネスはゼロサム・ゲームに他ならない。サム(総量)を奪い合うパイの分捕り合戦。勝ち組がいるということは、負け組も存在する。放送時間の総量を増やすため「オールナイトフジ」という番組で深夜帯の開発に着手したのがフジテレビ。しかし、他局も追随してくれば時間の問題で飽和状態になる。ではどうするか。次はタイムテーブルを跳び越えた新天地を開拓するしかない。当時テレビ業界は2強(NTV、TBS)2弱(ANB、CX*フジテレビのことJOCX)と言われていた。フジテレビがゼロサム・ゲームのルールを変え、新たなメディア・ビジネスに乗り出した時期に協働できたことは幸運だ。

ロンドンを基点に、ドバイ、ベンガルール、シンガポール、シドニーへと伸びる一筋の直線を、英国ネットワーク力の象徴として表現した「ユニオンジャックの矢」という言葉が好きだ。発想転換と表現すれば陳腐にしか響かないが、当時の修羅場、殺伐とした職場環境下に見た一筋の光。それは「イノベーションの矢」だ。この矢は現在に至るまで僕のビジネスマインドを射抜き続けている。(柴田明彦)


柴田の電通でのエピソードはこちらでも読めます。

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