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シリーズ「3,000文字の呟き」vol.1/コミュニケーションの深度と速度

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自宅近くの海でくつろぐ柴田明彦

「シリーズ3,000文字の呟き」①

このコラムの新シリーズ、”3000文字の呟き”がはじまります。
いままでのテーマよりも日常に近い話題から、柴田が感じている事を徒然なるままに語りました。
第1回の今日はSNSと自身のフリーランスの体験から、コミュニケーションの深さと速さについて。
友達とは?仲間とは?
柴田流のコミュニケーションの軸は何にあるのでしょうか?(編集記)

◆SNS雑感

SNS(どうもこの表現はお気に召さない・・)は一通り“いじって”みた。2011年3月11日に起きた東日本大震災を契機に被災エリア地方新聞社の仲間と連絡を取り合うためにFacebookを始めた。その後2012,13年、フェイスブック中毒と化していた。チェックイン機能も駆使して自分の行動を“晒し”まくり「いいね!」の数に狂喜乱舞する日々。フェイスブックの投稿とチェックする合間に仕事をするような感覚だった(笑)。会社に飼われた状態を社畜(この表現も好きではないが、敢えて自戒の念を込めて使う)と呼ぶが、当時の僕は“フェイスブック教”の忠実な信者だったと思う。あらためてその頃のアクティビティを見返すと赤面するばかりだ。その後フェイスブック熱は2016年をピークに下降曲線に突入し現在に至る。しかし、先日メッセンジャー機能を活用してビジネスパートナー3者電話会議を行ったが、とても画期的であり効果があったと思えた。フェイスブックの功罪を自分なりに体感できたことは収穫と言える。詳細を文語で残したくない。特に功罪の罪についてはね。意図に反して誰かをディスるようにとらえられるのは本意ではないから。

LINEは娘からの勧めで渋々始めたが、今では効果的に活用しているのではないかと思う。今や名刺交換よりも「LINEやっていますか」が挨拶代わりのように感じる。若干の抵抗感を抱え「ええ~やっていますよ!」と返答する僕の表情に歪みはないだろうか(笑)。

Instagram歴が一番浅い。皆さんの素敵なアングル、シャッターチャンスを捉えた投稿作品の数々に驚く。スマホのカメラ精度が高まったことも、インスタ映えという現象を加速させた要因の一つだろう。ハッシュタグの使い方も勉強になる。世の中には素晴らしいコピーラーターが多くいるものだ。

SNSそれぞれの特性があると思うけど、僕は文字ベースで勝負する(勝負する必要ないよね!笑笑)Twitterが好きだ。だからと言ってもアクティビティは極めて低い。

◆緩い紐帯と浅いコミュニケーション

Facebookに憑りつかれた一時期の僕は“フェイスブック教”の忠実な信者だったと吐露した。何においても、どうせのめり込むなら振り子を思いっ切り振り抜く感覚が必要だと考えてきた。そうしなければ光と影が見えてこない。その考えに間違いはなかったということを仮称「振り子の論理」から学んだ。僕の周囲には“SNS教信者”が多い。食事中、新たな料理がサーバーされるたびに撮影&投稿。絶えず自分の投稿に対するレスポンスと友達のSNS動向をチェック。新着通知音が鳴れば、目の前の相手に断りを入れることなく会話を中断して応対。何事もなかったように戻り、引き続きスマホを手放すことなくSNS教信者としての“立ち居振舞”を繰り返す。このような光景が常態化していることが悲しい真実だ。

ここ数年で、いつの間にかありとあらゆることにリアクションをしなければならなくなってしまった。FacebookのコメントやTwitterのリプライなどわかりやすい例もあれば、Facebookの絵文字のようなもっと何気ない例もある。そして、この機能を利用しろという無言の「圧力」が常にある!と感じて仕方ない。「いいね!」をつけたり拡散したりすることが、いまや社会契約の一部となってしまい、これを破ることに精神的な負担が伴うようになった。

カリフォルニア州立大学ドミンゲスヒルズ校の心理学者であるラリー・ローゼンは、この圧力について詳しく理解している研究者だ。同氏は主に20代前半の若者のスマートフォンの使用状況について研究しており、交流に関する若者の欲求を分析している。彼の見立てでは、SNSを利用するときわれわれのほとんどが、この暗黙の義務に従っているという。「わたしたち自身がこの社会的責任を生みだしたのです」とローゼンは言う。そしていまや、われわれはこの社会的責任にありがたみすら感じている。「いいね!」「ハートマーク」「(笑)」をたくさんもらうと、ドーパミンが出ることをわかっているからだ。だからSNSの「友達」にもお返しをせねば、という気持ちに駆られてしまう。スマートフォンの絶え間ない通知は、ありとあらゆる感情を引き起こす。通知を目にすると、自分も参加しなければならないと思わされる。その強迫観念を和らげるにはリアクションを返す以外になく、絵文字などのツールはそのいちばん手っ取り早い方法なのだ。しかし、このスパイラルをストレスに感じ離脱するプレイヤーが増えているのも事実。

先日、大学時代に創部した「慶應ダッファーズゴルフクラブ」の1年後輩諸氏が、教授就任祝賀会を銀座「交詢社」で催してくれた。食堂には紳士淑女が、自分の好みの酒を飲みながら和気あいあいと語り合っている。ささやかなドレスコードもある古き良き時代の社交場そのもの。もちろんSNS教信者は一人もいない。否、スマホ片手に語っている方も皆無(当然だよね!)。それぞれのテーブルでは「永遠の今」を尊重する気高い空気が流れている。少なくとも僕はそう確信した。そしてその雰囲気がたまらなく愛おしいと感じ入った。

先述したダッファーズは来年40周年を迎える。創部した頃はSNSおろか、携帯電話もなかった。現在の大学生から見れば、当時の大学生は原始人のような伝達手段しかない環境だと思うことだろう(笑)。駅改札周辺にあった“伝言板”など時代の象徴と言える。「けっこう利用したよ。伝言を見届けたら消す!次の人のためにスペースを空ける!というのがお作法なんだぜ」by経験者談。そのような環境下でコミュニティを形成するのは労力を要する。もっとも当時の自分は無頓着だったのでストレスを感じなかった。コミュニケーションはいつも「対面」で、お互いの意思表明に“絵文字”“スタンプ”などの補助輪は使えない。正面突破を試み貫通するか玉砕するか・・・。対面コミュニケーションの厚みが何重層にも積み重なり、その多重層が相手との絆を構築していく。現代の感覚からすれば“非効率プロセス”と一笑に付されるかも知れない。でもアナログ最後の世代である僕たちには(僕だけに限ったことではない!と願いつつ・・・。)、そのような原体験が心の奥に居座っている。
昨今のSNSを通じた“インスタント友達”量産システムは、どうも馴染まない。

自宅近くの海でくつろぐ柴田明彦

自宅近くの海でくつろぐ柴田明彦

◆フリーランス徒然草

資本市場とビジネス雑誌は分かり易いストーリーを好む。よくある成功企業のストーリーではカリスマ的経営者を描写する。起業家は虚栄心旺盛のため、自らも自分一人で会社の総てを立ち上げたという見せ方が好きだ。が、しかし。子どもから大人にシフトするということは、万能感を喪失していくプロセスだと僕は考えている。すなわちビジネスという文脈で考察すれば、自分は万能の神ではない!よって必要に応じて必要な分野の人財をどれだけ集めることが出来るか!?がプロジェクトの命運の鍵となる。ましてやノマドやフリーランスにとってこの点は成功を導く決定的な要因となっている。そもそもノマドの語源は遊牧民。家畜を放牧しながら、牧草を求めて移動する生活様式が遊牧民だ。牧畜のスキルに優れ、さまざまなリスクを負い、外敵を撃破する肉体的にも精神的にも屈強な人々にしか生き抜けない世界とも言える。やりたい仕事を選べる自由度の高さは、さまざまなリスクと表裏一体だと13年間のフリーランス体験で学んだ。自分の成長に資する仲間と働くか否かで人生の意味合いは大きく変わる。ただ、仲間というのは当初の目的を達成し、互いに必要とする時期が終われば離れるのが自然の流れだ。いつまでも惰性で“仲良しごっこ”を続けるのは、少なくとも僕のフリーランス定義には記載していない。

********

スマホがすっかり生活に浸透した現代では、柴田のような考えは古くて頑なにも思えるかもしれません。けれど、そこには柴田の友人や仲間を大切にしつつ、自分自身も大切にする生き方のバランスが反映されているよう感じられます。

“美学”という言葉を柴田はよく使いますが、その2文字には柴田の生き方がつまっています。

スマホの通知に疲れたら、カバンにしまって他の景色を見る事もたまには効果的かもしれません。

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