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只今進行中。次世代育成・継承ミッションをコンプリートせよ!/シリーズ3000文字の呟き vol.3

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講義では実例を題材にした演習を行う

今年度より某大学情報マネジメント学部の教授となった柴田は、担当する半期4コマ、年間9コマ(9コマ×100分×14週*後期開始直前に1コマ追加要請された模様)の授業プログラム作成と学生の就活相談で多忙を極めているようです。

大学教授業では、彼が普段から口にし、このブログでも度々出てきているキーワードの

・自分軸を確立したキャリアビジョンを描く事

・知見を独り占めすることなく次世代に継承する事

・本気度を感染させること

などを存分に活かしているようで、嬉々として講義の準備をする姿は電通マン時代とは異なる輝きを放ち、一方で新たな生きがいを見出したように見えます。

ビジネスキャリアの後半戦で柴田がやり遂げようとしている事とは何か?前半戦で授かった知識、経験、人脈、知恵など有形無形の「ギフト返礼の旅」と彼は言っていますが・・。どうぞお読みください。

大学で講義中の柴田

大学で講義中の柴田

◆創造と感性の世界で働くことを夢見てた青年は・・・。

大学講義の合間に就活相談を受ける頻度が増している。研究室での“つかの間のひと時”は、想定外の学生訪問で一変しつつある。彼らの志望動機を聞きながら自身同年代の頃を思い起こす。極楽トンボの学生だった・・・。

~以下拙著「ビジネスで活かす電通鬼十則」前書きから抜粋~

僕は「創造と感性」の世界で働きたいという淡い思いを描き電通を志願した。入社した1983年 (昭和58年。令和の現在から振り返ると大昔だ)会社には“ザ・昭和”という匂いと“男たちの汗と涙”が充満していた。最初に配属された部署は、社内でも過酷な代名詞と言われた部署。そこには朝から晩、いや深夜に至るまですべての行動規範に「鬼十則」と「責任三カ条」が貫かれていた。カルガモの子は初めて見たものを親と思う。僕も「会社」とはそのようなものだと抵抗もなく受け入れた。ましてや、入りたくて志願した会社だ。選抜にもれた他志願者のことを考えれば、何をかいわん。

~さらに続く~

一か月ほどの集合研修を経て現場に配属。その部署にしか通用しないビジネス手法、価値観、立ち居振る舞いといった不文律の掟を順守することが、現在のコンプライアンス(法令遵守)と同義のように理解した。上位者、先輩は全身全霊をかけて後輩の指導・教育に取り組む。『先陣の谷に突き落とす』という表現がある。何度となく深い谷に突き落とされても必死に這い上がっていく“タフガイ”にのみ“電通DNA”を引き継がせていくように感じた。そのようなプロセスを辿ってきた猛者たちを見て、後輩は必死に駆け上る、ようやく先輩の域に達したかと思ったら、先輩は更に高い所に駆け上がっている。社内を見渡せば、色々な「技」をもった先輩がいて「ロールモデル」には事欠かなかった。修羅場のような日々が続き、トイレに行っては今にも泣き出しそうな情けない自分の顔を鏡越しに睨みかえす。「負けてたまるか!」と心の中で叫び現場に戻り、罵倒・叱責・怒涛の嵐に突入する。“電通の常識は世間の非常識”と揶揄されてもお構いなし。広告会社の生命線ともいえる「扱い」の維持・拡大・奪取だけを目指して全力疾走する毎日。不屈の精神力とそれに支えられた肉体力をもち、「鬼十則」「責任三カ条」を行動規範として、この弱肉強食のサバイバルを生き抜く。僕はそのような環境でビジネスマンの一歩を踏み出し駆け抜けてきた。

入社当時、時代はバブルに向かって突き進んでいた。大相撲興行をニューヨークで展開し、翌年のパリ公演にフジテレビならびに関係者と共に現地に赴く。メセナをテーマにした先進国視察企画を朝日新聞社と立案し企業当該部門の方々を連れて海外出張など、当時を象徴する企画の数々にコミットできたことは貴重な体験だ。そしてバブルが弾け、失われた10年といわれた1990年代を迎えメディア・ビジネスを取り巻く環境は変革の兆しを見せ始めた。21世紀に入りインターネットとデジタル化の急速な普及は、加速度的にさまざまなパラダイム・シフトを巻き起こし続けている。過去に通用したこと、成功体験だけでは打破できないビジネス上の壁を感じながら知恵を絞りだすステージへ変わっていく。広告会社のレゾンデートル(存在意義)も問われる。

しかし思う。効果・効率、スピード、ストレス・フリーを追い求めてきた現代は、一方で何か大切なことを置き忘れてきたのではないか!?と。それは、人間関係、絆、精神性、共感する心、調和、自己哲学などに代表されるものだ。これらと引き換えに掴んだ幸福は“虚像の豊かさ”と言えないだろうか。社会を見渡すと世間や組織の論理に振り回され、埋没し「個」を見失った“幻想のエリート”が漂流しているように感じて仕方ない。自分の取り組む仕事に生きがいを感じ、燃えたビジネスマンになかなか出合えないことが残念でたまらない。今こそ幻想に惑わされることなく「個」を取り戻し、自分軸を確立したキャリア・ビジョンを描くことが必要ではないか。自分の仕事に誇りをもち、ワクワク、ドキドキしながら働くビジネスマンが一人でも多くなって欲しい。そのようなビジネスマンの生きざま、後ろ姿が、すなわち「次世代継承」に繋がると信じて疑わない。僕は電通在籍23年間で多くの知識、機会、経験、人脈とささやかな知恵も授けていただいた。このような“有形無形”のギフトを一人占めすることなく、共有していくことが大切だと考える。贈り物を頂戴したら返礼するのが人間社会の決まりごとだ。「ギフトの返礼」は後半人生のコアに据えていきたいと考えている。前半人生で授かったさまざまなギフトを返礼していくことが、自分自身が出来る最低限度の「貢献」であり、生きた証に他ならないと胸に刻む。

◆大学教授になったのは必然か!?

昨日の教授会で2020年度の授業概要(科目担当教員を含む)が発表された。各教員は怒涛のような1月を迎える。半期14コマの残り2コマ分の授業と試験を実施、それが終わると同時に成績評価を行い、合わせて月末〆切のシラバス作成に取り掛かる。僕が帰属する大学は2020年度からスタートする修学支援制度(高等教育の無償化)の支援措置対象校になっている。規定科目数(1割相当)についてシラバスに、当該科目が「その科目に関連した実務経験を有する教員が、その実務経験を十分に授業に活かしつつ、実践的教育を行っている」授業科目であることを明記することが義務付けられた。僕は当該科目を担当するため別途資料作成が付加される。どのような指示がくるのか楽しみだ(笑)。

教授会の後は学部ミーティングと分科会が行われる。僕はキャリアプログラムの分科会に所属。来年度の授業運営に関してメンバー間で熱い議論が交わされる。現代の学生気質を鑑み少しでも理解度が深まる内容を吟味する教授陣の舞台裏を学生たちは知る由もない。当然ながら大学生当時の僕も想像することなど皆無だった。

講義では必ず実例を題材に演習を行う。

講義では必ず実例を題材に演習を行う。

◆年齢に見合う仕事をデザインする

僕は大学講義を通じて大学生とのコンタクトポイントが多い。講義を始めた当初は、「居眠り」「私語」「携帯いじり」「化粧」(*最前列の女子学生が公然と化粧し始めたのには驚いた)等々に悩んだ。「俺がこんなに素晴らしい話をしているのに・・・」と。ある時エジプトで紀元前の石碑が発見されアラビック文字で「今どきの若い者は・・・」と記されていたとの話を聞いた。“今どきの若い者”を言い訳に他責で片付けることなく、自分の講義内容ならびに進行等を改善することにした。「90分間、瞬きさせない講義」これも僕にとってのストレッチゴールの一つだ。自分なりの創意工夫を盛り込み進行している。大学講義では必ず「演習」を取り入れる。課題を提示、数名単位で立案、その後班単位でプレゼンテーションしてもらう。パワーポイントに代表されるインフラの拡充はプレゼンテーションの“見栄え”を進化させた。ただ、演習総括時に申し上げることは内容面以外として「五感を駆使したプレゼンテーション」だ。現代社会は“視覚情報”に溢れている。視覚以外の四感(聴覚、触覚、味覚、嗅覚)を研ぎ澄まし、それぞれの感覚に訴求させ、統合力とインパクトを高める。僕は特に「聴覚」に注目している。グローバル時代と言われて久しいが、我々の感性や想像力・創造力はグローバル化していない。地球の裏側に「補聴器」をあてて鼓動、息遣い、人の気配、場の雰囲気に耳を澄ますことで、感性や想像力の帯域が拡がるのではないだろうか。感性や想像力のブロードバンド化は潜在能力を引き出す契機になると確信している。

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