お待たせ致しました。年末から多忙を極めていた柴田ですが、ようやく原稿を書き上げました。
当ブログの人気シリーズ(?)「電通イズムその功罪」第12話です。
前回の地方部でのエピソードのおさらいはこちらからどうぞ。↓
異動先の地方部での仕事(と呑み?)の勢いを感じるエピソードでしたが、異動から7年経ち、そろそろ、、と思っていた柴田を待ち受けていた現実とは?
さて、ここからは本人に語ってもらいましょう。
電通イズムその功罪−12
ブログの更新頻度が低い!とのお叱りを受け猛省している。合わせてかくの如き稚拙なブログにもかかわらず楽しみにして頂いているという事実に触れ謝辞を述べたい気持ちで一杯だ。深謝!ということで(相変わらずジコチューな前振り)「電通イズムその功罪」シリーズVol 12に突入する。
◆グランドスラム達成した後には花園が待ち受けていたはず・・・。
くどいようだが再々度述べる。僕は電通新入社員ならびに若手電通マンの“三大不人気部署”と言われるフジテレビ担当、朝日新聞担当、全国地方新聞社担当の地方部、その3部署を順番に歴任した(グランドスラム達成という訳だ)。
3番目の地方部在籍歴が7年近くなり、そろそろ“シャバ”に出られるか・・と夢想していた秋(10月初旬)。地方新聞社複数社に声を掛け、JAL宣伝部の新聞担当K氏と「築地」(*この地名を強調!伏線)の蕎麦屋で一献傾けながら談義していた。
ちなみに僕は新聞局員であってJAL担当の営業マンではない。僕の立ち位置は「新聞社⇔新聞局⇔営業⇔各お得意様」すなわちお得意様に何か提案する際は、そのお得意様担当営業が窓口となる。大別するなら“内勤”部門、営業行為は社内営業“でしかない”(ここも強調)。しかし反逆児の僕は新入社員時代から社内の営業局をキャラバンし、それぞれの営業マンの力量を推し量ってきた(生意気発言)。僕にとっての社内営業とは“靴の上から足の指を掻く行為”でしかなくストレスそのもの。ゆえに(強引かしら)20代中頃から信頼に値する営業マンか否か(単なるメッセンジャーボーイが否か)の選別を始めていた(生意気の極み)。そして隙あれば、営業をかっ飛ばして各企業の宣伝マンと一献かたむけながら(もちろん自腹。よって居酒屋レベルに限定)談義しまくる。担当媒体の物件をプロモートする「売り手の論理」と、各企業宣伝マンの「買い手の心理」、このギャップを確認するのが第一義の目標に定め“放課後課外活動”に勤しむ。と、注釈が長くなったので本線に戻す。
JAL宣伝部K氏との熱き談義も佳境になった頃、僕は中座して厠に向かう。膀胱が満タン状態、急ぎ足で店内を移動している時、朝日新聞幹部の皆さまがトグロを巻いているテーブルから呼びとめられた。この蕎麦屋は朝日新聞社から徒歩数分のロケーションだから遭遇しても不思議ではない。彼らから異口同音の「言葉」を聞かなければ、目礼してトイレに駆け込むはずだったが・・。
◆蕎麦屋で内示
「柴田、戻ってくるのか!?」「お宅のM新聞局長が言ってた」「お帰り!」「また一緒にやろうぜ」「嬉しいよ」・・・。膀胱破裂寸前の状態だった僕は瞬時に冷静になった。ちょっと待って!最悪3部署グランドスラムという“服役”を立派に終え(笑)、もう一度“収監”されるというのはいかにブラックカンパニー(当時はそのような表現は存在しなかったが・・笑)と言え理不尽ではないか!翌朝、新聞局次長K坂氏の席に出向き「昨夜築地の某所で朝日新聞社の誰それから内示を受けたが・・・」と質したら「早いね!ということで来年1月1日から朝日新聞担当キャップ!」と直球返答。「ということで」ではなかろう。電通社内人事異動の内示は辞令2週間前となっていた。従って1/1辞令の人事異動は12月中旬に内示するのが慣例。約2か月前内示を、朝日新聞社から、それも蕎麦屋でほろ酔い気分、しかも膀胱破裂寸前に受けた訳だ。媒体社と電通の上層部は緊密に連絡を取り合っているから、媒体社から人事異動の内示を“臭わされる”ことも稀にある。が、しかし。2か月間に断定口調で内示されたのは強烈。電通約120年の歴史でグランドスラム達成した電通マンを僕は知らない。ましてやグランドスラム+「もう1回」、これは前人未到の新記録!と高笑いするしかない(やけっぱち宣言!ですわな)。
◆朝日新聞担当キャップ
7年ぶりに出戻ると朝日新聞社の戦友は2階級前後の昇進を遂げ、満面の笑みを浮かべ「お帰り!」と出迎えてくれる。テレビ朝日K氏(当時は部長、現在は社長)は「広い意味で朝日新聞グループに復帰」と僕の歓迎会をテレビマン諸氏で催してくれた。放浪息子が実家に戻った感覚。ありがたい限りだ。
10名の班員に対しキャップとしての指針を発表。それは責任の明確化、シェア意識、朝日新聞を面で押さえることに加え、一人でも多くの「朝日人」を電通ファンにすることだった。朝日新聞社は4本社1支社、すなわち東京、大阪、名古屋、西部(九州)各本社と北海道支社体制となっている。班員には4本社1支社の担当、朝日新聞社社内各局(広告局以外の編集、販売、事業とかとか)担当、そして玄関口の広告局内も各部担当を指名した。一方地方部の行政区分である、北部、中部、西部各地方新聞社の担当も決めた。地方部を去る時、地方新聞各社に「弊社にいらっしゃった際に、お目当ての地方部員がいなかったら朝日新聞担当に来てください。皆さまの担当者が朝日新聞担当内にもいますので・・」と声を掛けた。この施策が“掟破り”であることは先刻承知。電通も巨大組織になり、お役所の縦割り行政のような事象が各所で散見され、僕の不満は飽和状態だった。新入社員からメディア部門で育った僕には「メディア・ファースト」が信条であり、それこそが競合広告会社との競争優位性と考えていた。逆に言えば営業部門で育っていれば「クライアント・ファースト」を掲げていたに違いない。社内でバチバチ火花を散らしながら闘う摩擦熱こそ、電通のエネルギー源だ。朝日担当だの地方新聞社担当だの“細事”は脇に置き、新聞オールで構え「We love Newspaper!」で一丸となるのが電通イズム。新聞局員は、来社される新聞各社がどこの新聞社であれ、きちんと挨拶する!そのムーブを朝日新聞担当という「ひとつの部落」(笑)から発信するのが僕の狙いだった。
僕の指針を聞いた班員たちの「朝日新聞という巨艦を担当するだけで疲弊しているのに・・・」といった戸惑いが手に取るようにわかる。現状維持は退歩に他ならない!彼らの固定観念を打破して、ストレッチゴールを体感して欲しい!と願う。あとは僕が自ら体現するだけ。
◆抜かれてはならない
シェア意識について言及する。「7年ぶりに出戻ったが、この間、博報堂とのシェア肉薄なんてなかったよな・・」と班会で確認すると全員下を向き黙ってしまい、某班員が恐る恐る「2度逆転されました・・実は今月もヤバイかも知れません・・」と報告。その瞬間班会をストップ!朝日から戻り次第再開すると告げ、サブキャップを伴い朝日新聞に乗り込む。Y局次長を応接室に招き寄せ「今月内の朝刊、夕刊の空きスペースを全部買切る!」と宣言。とんぼ返りで社に戻り、その時から営業キャラバンが始まった。その都度、班員の誰かを同行させる。売れるのではなく「売る」、売れたのではなく「売った」という違いを身体に叩き込む実戦訓練。売って、売って、売りまくる。本気度を感染させるには、本気で班員に語り尽くさなくては伝播しない。どこぞの国会議員が“2番じゃだめなんですか”と質疑していた場面を思い出す。業界首位を走り続けるには「常勝」を脳に刻印し、毛細血管にまでそのDNAを浸透させなければならない。もちろん全戦全勝など非現実だ。ただ、敗戦要因はきっちり分析するが、敗戦の言い訳など一片の価値もない!という規範を己に課す。修羅場を自ら作り、足掻き苦しみながら乗り越える。そのような体験が一皮むけるという意味だと僕は考え、自ら体現する日々が続く。班員たちは、とんでもないキャップが来た・・と思っていたに違いない(爆笑)。続く。(柴田明彦)
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グランドスラム達成後のまさかの”おかわり!”
柴田の仕事の美学を貫く姿勢は、古巣へ戻っても色あせる事はありませんでした。
さて、この後どの様な展開が待っているのでしょうか?
次回をお楽しみに!