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シリーズ「年齢に見合う仕事をデザインする」Vol.1/クリエイティブ思考を最大化せよ!

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愛車フラミンゴ号と江ノ島をバックにポーズをとる柴田。笑

~年齢に見合う仕事をデザインする①~

◆老成化を忍び寄らせない

カフェや飲み屋にいるとビジネスマン会話の中でよく耳に飛び込んでくるセリフがある。「この歳になって今さら・・」「そんな青臭いことなど・・」「夢みたいな・・」「あと〇歳若ければなあ・・」などなど。“震源地”(発話者)に目を向けると推定年齢40代中後半といったところに集中している。組織内のポジションとしては中間管理職だろうか。おそらく部下(*この表現が好きではないが、瞬時に代替表現が思い浮かばないので渋々使用する)を複数人従えて業務を遂行している立場だろう。僕は42歳の時、部長になった。自身に課す新たな行動規範と同時に幾つかのワードを封印した。先ほど列記した表現も然り。リーダーは何に気を付けるか!?それは言動(「言」だけではダメ、「動」すわち無言の体現、この2輪が大切)に尽きる!と考えている。部員とのコミュニケーションの中で、一つ一つの言葉、表現を丁寧に吟味しながら使用する繊細さと、一部の隙も無いポジティブかつ大胆な立ち居振る舞い。部員からの提言はネガティブチェックしない。その提言内容を精査し、実現させるために越えなくてはならない障壁等条件を洗い出し、取り掛かる優先順位を示す。Yes!You can!と随所に散りばめながら。と、リーダーシップ論を語り始めるとヒートアップしてしまう。本線に戻そう。

◆クリエイティブという概念のグランド整備

「人生において、たとえどんなに小さくても意味のあることなら、大きくても意味のないことに勝る」心理学者カール・ユングの言葉を噛みしめる。どうやら僕には狩猟民族のDNAが強く流れているようだ。何か有意義なものを産み出すなら、自ら攻めていかなくてはならない。と常々考えている。座して死を待つことは出来ない。その潔さは僕にはない。自分の干支通り猪突猛進。“叩けよ、さらば開かれん”の如く。正面突破、貫通もしくは玉砕の連続。夢遊病患者のように自分の人生を惰性で歩き過ぎていく人が、意外にも多いことに驚く。自分は何が得意か。自分はいったい何をやりたいのか。どのようなことをやっている自分なら、意味を感じ、社会に役立っていると実感できるのか。を絶えず自問自答する人は少ない。と偉そうなことを書いている僕も電通マン時代を振り返れば猛省することばかりだ。“秒の殺し屋”のように多忙というマントを着た企業戦士に陶酔していた点を認める。独立して、仕事を選択するという自由度が高まり(安心・安定感が脆弱になる危険度を背負いながらだけど)、クリエイティブという概念を掘り下げる機会が増えた。クリエイティブな種族は、理性的な願望ではなく情熱に導かれて行動する。新しいアイディアは、自分の興味という泉から湧き出てくる。誰も想定出来ないようなコトを考えられる人は、実用的な思考を一旦脇に置いておくようだ。実用性を考え始めると、心が論理的というアンカーに固定されてしまう。思考の跳躍がなければ、自由度に溢れた新機軸な発想につながらない。大切なことは、誰かのフィルターではなく、自分の眼で観察して、総てを「疑う」ところから始まる。疑いのないところに新しいアイディアは芽吹かない。絶対などあり得ないと肝に銘じる。疑う自由(悲しいかな、偽装、偽証、改ざん、隠蔽、証拠隠滅などなどのニュースが昨今多すぎるが・・)。それは僕たちの文化の中で最も大切なものの一つだと思う。アインシュタインはニュートンを、ピカソはミケランジェロを、ベートーヴェンはモーツァルトを疑い、そして前へ進んだ。疑うという行為が、新しい可能性の扉を開けるものだと歴史が教えてくれる。そして自分は何でも知っているわけではない、万能の神ではないという当然の事実を再認識することも重要だ。確信とは居心地の悪さから自分を解放してくれる安直で手っ取り早い言い訳に他ならない。最小限の努力で知への渇望を癒してくれる、心のファストフードに過ぎない。疑うという行為を不愉快と感じる内は、成長と進化はない。そして何よりも自分を疑うことから始める。自己肯定感の目盛りを下げることも必要だ。誰かに自分の無能さを見抜かれるのではないかと密かに心配する人は多いと思う、いや誰もが程度の差はあれ抱く心情だろう。しかし“無能警察”が摘発に乗り出し、逮捕されてしまうのではないかとビクビクしている図を思い起こして欲しい。そんな滑稽さを笑い飛ばす。

冒頭のビジネスマン会話を踏まえてもう一言。誰もが歳を取ることから逃げることは出来ない。しかし大人になってしまうことは拒否出来る。子どものような遊び心は、加齢とは関係なく生涯維持出来るものだ。僕は“悪戯っ子”のように眼をキラキラさせた人生の大先輩に出会うと無条件で好感を抱く。そして勝手にロールモデル認定させていただく。創造的なのは大人の自分ではなく、自分の中にいる子供の自分だ。未来は遊び心を取り戻せた時に輝く。と自分の脳を騙せば、冒頭の会話などあり得ない。

◆クリエイティブ思考を楽しむ

多くの起業家たちが言う。最高のアイディアは夢に見た。誰でも子供の頃は「遊び」を通じて創造性と想像力を培い、表現してきた。感情を抑制することなく他者と交わり、無意識のうちに願望を実行することが出来た。成長して“分別”という名の社会のしがらみに塗れた大人になって、クリエイティブな遊びは白昼夢に取って代わられた。

大人の階段を何も考えず昇るのを止めて踊り場で休憩してみよう。そして、無意識が創造性やひらめきの源泉であり、論理的で現実的であろうとする心を解放してくれるという真実を見つめる。日々の諸事に忙殺され、無意識に潜む素晴らしいアイディアは見落とされていく。アイディアは意識がオフの時に突然浮かび上がってくるもの。夢を見ている時、僕たちの心は無意識に浸かる。目が覚めている時に意識的に考えていたことを、夢の中では潜在意識が考え続ける。この好都合な真実を大切にしたい。意識のある状況下において、思考は見慣れたありきたりのものを直線的に結んでいくだけ。しかし潜在意識においては、余計な呪縛から解き放たれた思考の矢が素敵な的を射抜く。
僕は動態瞑想が好きだ。昨年、久し振りに湘南に戻ってからママチャリ(僕の相棒!)で海岸を徘徊している。都内で暮らしていた3年間も、時間があれば自転車(無類のチャリンコ好き!)で神宮外苑を周遊していた。僕にとっての「聖地」は湘南海岸(厳密に言えば、鵠沼海岸)と神宮外苑そして母校キャンパス。聖地に足を踏み入れると、限りなく無意識な状態になる。そして聖地を彷徨う時間の経過と共に「真空な状態」に仕上がっていく。無意識な世界を浮遊する本質、真善美、アイディアという妖精たちが何かを語りかけてくる。という表現にビビッと反応したあなたに申し上げる。僕はアメリカインディアン(先住民族)の世界観が好きだし、スピリチュアルな要素は嫌いではないけど、怪しい新興宗教の信者ではない。とお断りしておく。お約束の脱線。本線に戻す。

当たり前ながら聖地という場所にこだわる必要などない。何処そこに行って、何をするといった思考は既に通過儀礼と化している。錨で固定された思考は潜在意識の領域に跳躍できなくなってしまう。と言いつつ僕は聖地巡礼を続けるけどね(笑)。

論理という鎧兜を脱ぎ捨てる。潜在意識の中を飛び交うアイディアという名の女神も獲得したい。心の水面下を深掘りする、それがクリエイティブ思考を高める。だから動態瞑想は止められない。このコラムを書き終えたら海岸に向かう。(柴田明彦)

愛車フラミンゴ号と江ノ島をバックにポーズをとる柴田。笑

愛車パプリカ号と江ノ島をバックにポーズをとる柴田。笑

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