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柴田明彦、機微に通底する契機/シリーズ「電通イズムその功罪」-2

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~シリーズ「電通イズムその功罪」②~

電通イズムその功罪-1では、社会人1年生の柴田が弱肉強食のサバイバルをいかにくぐり抜け、ビジネスマインドを鍛えてきたかに焦点をあてましたが、シリーズ2回目の今回は冠婚葬祭のエピソードを中心に「人の心に住み込む」電通マンのコミュニケーションの本質を探ります。(編集記)

◆葬式を仕切る

入社最初の配属先はフジテレビ担当部だったことは既に述べた。配属初日夕方にフジテレビの大規模人事異動が発表され、部員は手分けして、昇格された方々に祝電を手配する作業に取り掛かった。大人数であったため総ての作業が終了した段階で既に終電もない深夜帯になっていた。“電通人”配属初日は祝電手配で幕を明けた。以降、電通在職23年間、冠婚葬祭、特に「葬祭」には絶えず神経を尖らせる日々が続く。それはナゼか!?最古のメディアと言われる新聞、その新聞広告に源流がある。著名人や一部上場企業の役員が亡くなると新聞に死亡記事が掲載される。逝去の事実をキャッチすると、電通マンは遺族を訪ねて、通夜・告別式等の詳細を告知するお悔やみ広告(*周囲を黒枠で囲っていることから「黒枠広告」と言われる)出稿をプロモートする。この黒枠広告は新聞広告の原点の一つ。僕も何度か飛び込んだ。悲しみに沈んでいる遺族に対し、広告のご用命を!と働きかける。厳しい目で睨まれ、罵倒されたこともあった。当然ながら競合他社の広告会社も動く。ここでも熾烈な情報戦争と黒枠広告の扱い獲得にむけた闘いが繰り広げられている。

また、担当先企業(僕の場合はテレビ局、新聞社)の役員、幹部のご両親等肉親の訃報にも敏感に反応する。弔電、供花の手配もさることながら、重要なのは通夜、葬儀・告別式にどれだけ深くコミットできるかが問われる。組織でそれなりの立場になるということは、私人から「公人」になることでもある。自分の肉親の葬儀は、もはや〇〇家だけのものではなく、組織の名を冠した式典になってしまうのが現実だ。例えば某テレビ局の役員の親が亡くなったとする。まずはその訃報をどこよりも先に入手し、そのテレビ局と取引のある広告主に伝える。場合によるとその役員固有のコミュニティや馴染みにしているお店の大将、女将、ママに伝えることもある。故人と生前親交があったか否かではない。マスコミ業界に限った事象ではなく、葬儀とはそういうものだ。ただ、この分野においても電通のこだわりは半端ない。社内には“葬儀仕切りの達人”が何人もいた。葬儀リテラシーが未熟な頃、達人の的確な指示に驚嘆したことを覚えている。この人の本業は何か!?と不思議で仕方なかった。訃報が入った瞬間からの対処、そして葬儀会場を見回り、NHK「チコちゃんに叱られる」の如く『ボーっと生きてんじゃねーよ!』と雷を落としまくる。ちなみに達人は独特の嗅覚を備えている。誰も声をかけていないのに、必ず登場することを付記する。

受付周辺、クローク、会葬御礼受け渡し場所、お清めどころ、駐車場、曲がり角、葬儀会場最寄り駅に至るまで電通の徽章を付けて弔問客に“勝手に”対応する。特に冬季、コートも着ず立っているのは相当に辛いものだ。ここでも達人はポケットカイロを配る気遣いを見せ、さらに神格化される。弔問客は、寒空の中必死に対応し、そのような季節がゆえにトイレの位置を事前に教える電通マンをリスペクトする。また“ここだけの話”がさりげに出来る空間であり、貴重な情報を入手することもある。葬儀という場を明日へのビジネスに向け活用する諸先輩を幾度も垣間見た。ビジネスは心理ゲームの側面が強い。葬儀という特異な空間でこそ発揮する心理的パフォーマンスを知り抜いた電通マンの実像と虚像。それを理解するのにさして時間を要しなかった。

◆属人にこだわる

人間関係がフラット化されて久しい。個人情報保護法が施行されてから更に加速しているのは間違いない。社内外の相手のことを知らなさ過ぎる。いや、興味すら示さない。温もりのないやりとりは僕には耐えられない。それも電通イズムの影響かも知れない。

まずは社内直上の先輩から社長に至るまでのライン、社内関係部局の相手、担当先の関係者その総ての入社年次を把握することを徹底的に叩き込まれた。その必要条件を満たした次に、年齢、最終学歴、出身地、家族構成、趣味などなど徹底的に知り抜き、十分条件を充実させていく。

担当先のモデルケースを挙げてみよう。AさんBさんと打ち合わせをした。Aさんは管理職でBさんは部員だった。交渉の早期解決に焦るあまり、Bさんの存在を視野から外すかの如く“上位者”Aさんとばかり話しこんでしまった。実はBさんの方が年齢、入社年次ともに上で、昨年までAさんの先輩だった。またある時CさんDさんと一献かたむけながら談義した。Cさんは偶然にも自分の大学先輩であることが判明し、母校の話題で盛り上がった。ところがDさんは高卒だった。いずれも20代の僕がやらかした失敗談だ。その日の夜、同席した先輩にこっぴどく叱責された。人間関係、感情の機微に通底しなくては電通マン足り得ない!説教は具体的事例を踏まえながら延々と続いた。あの説教は未だ鮮明に覚えている。

以来、受験生が英単語や歴史年号を覚えるように、入社年次一覧表を独自に作成し片っ端から暗記に努めた。例えば朝日新聞社は東京、大阪、名古屋、西部(九州)各本社と北海道支社の4本社1支社体制で、僕が担当時代約400人の広告局員がいたが、その大半局員(300人くらいかな)の入社年次、年齢、最終学歴を把握した。同様に社長を含む16名全役員の年齢、入社年次、最終学歴、社内キャリアを総て頭に叩き込んだ。この類の話題を披露すると「それって何か役に立つのですか?」との質問や「データベース化して遊んでいるのでは(笑)?」と指摘されることがある。僕は大抵以下のように答えている。「データ収集するだけで満足し、死蔵してしまったらもったいない。TPO、商談の流れ、緩急のテンポ等を見極めながら活用して初めて効力が発揮されるものだと考えています。使い方次第ではないでしょうか」。といったん煙に巻きつつ、ささやかな事例を紹介し、説明責任を果たす。

◆喜怒哀楽

弔事に比べ慶事に対しては、厳しく躾けられたOJTの記憶が乏しい。本稿は冠婚葬祭のマナー・エチケット編ではないが、慶事に対する処方箋は世間一般の立ち居振舞と差異はないと思う。もしかすると僕の認識レベルの問題かも知れない・・。もっとも広告会社という特異性から、慶事におけるサプライズ等「演出力」には持ち前のパフォーマンスを発揮させている。電通マンは「意識高い系」「ナルシスト」「パフォーマー」「カタカナ言語と新しいモノ好き」種族であることに間違いない。広告会社の共通因子とも言えるか・・・。ゆえに日常行事から、その能力をフル稼働しているので、いざ一大慶事となれば燃えるタイプが多い。その燃焼度具合が、世間の常識を遥かに超えていくので、顰蹙を買い、批判の的になることもしばしばある。自身を振り返り猛省すること無きにしも非ず(汗)。もし武勇伝の解釈に正邪の区分けがあるならば(そのような区分け自体がナンセンス!と思いつつ…)、非日常のような武勇伝が数多存在したことも事実だ。“若気の至り”とか“祝いの席に免じてご容赦いただければ”は免罪符にならない!と分かりつつ。時には破天荒さも血気盛んな時代の勲章と容認する空気があったことは確かだ。しかし、そのような空気も遺物となって久しい。

効果・効率、スピード、ストレス・フリーを追い求めてきた現代は、一方で何か大切なものを置き忘れてきたように思う。それは人間関係、絆、共感する心、調和、自己哲学などなど。そして、とても気になるのは無機質化した人間世界における喜怒哀楽の表現かも知れない。能面が向き合っているような“ぎこちなさ”を感じるのは僕だけだろうか。相手の細部に宿る感情を洞察する意思を放棄してはならない。センサーの帯域幅を増やす。と肝に銘じる。(柴田明彦)

赤鬼と呼ばれていたのがウソの様に穏やかな柴田

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